店の明かりは戦後の闇市(2001-05)

私のカンボジア支援 -その2プノンペン市内事情-

迎えの車で市内を走って驚いた。街が暗い。
電力不足で年中停電だという。
商店はと見ると「あぁっ 懐かしい!日本の戦後の闇市にあった明かり。
アセチレンガスを燃やして作る明かりがプノンペンにもあった!」
「燃えるときに出るカーバイトの匂いも懐かしい。」
連なる店の何処もアセチレンガスの明かりでした。
昔の日本がここにありました。

土埃の舞うガタガタ道の際には屋台の食事店が立ち並び、土埃の中で夕食をしている人が沢山いました。
土埃の舞う道端では、むき出しのフランスパン?を売っていました。
パンを叩いて、溜まった土埃を払って食べると聞きました。

車は古い、夜でも暑い。クーラーは効かない。
土埃は酷くて窓は開けられない。交通信号が1ヶ所もない、
暗いプノンペンの街を走ってホテルに向かいました。

2001年には、プノンペンには営業しているホテルは少なかったです。
内戦の後、今ある高級ホテルの多くは荒れ果てたままでした。
料金が高いホテルには泊まれず、中級の安いホテルを探しました。
中級の下に属するホテルでしたが、まあ良いホテルでした。
朝食付きで30$くらいだったと記憶しています。

このホテル、3回目のカンボジア調査でも泊まろうとしましたが、火事で燃えてしまいホテルはありませんでした。
実はこのホテルの地下は麻薬工場で、カンボジア警察が急襲した折に火災が発生し全焼したそうです。合わせて10日間程泊まりましたが、地下で麻薬を作っていたとは全く知りませんでした。

初めてのカンボジア(2001-05)

私のカンボジア支援 -その1プノンペン空港-

2001年5月、成田からタイ経由でカンボジア・プノンペン空港に降り立った。
タラップの下に、日本ならとっくに廃車になっているような古い塗装の剥げたバスが、真っ黒い煙をまき散らして迎えに来た。
プノンペン空港は、まだ建設中でトタンの板張り。
建物に入り入国検査を受ける。

迎えの車を待つ間、空港内にあった薄暗いコーヒースタンドで待つことにした。
若いボーイさんが得意げにカップを拭いているが・・・その布巾と言ったら真っ黒で、日本の雑巾のほうがはるかに白くて清潔だ。
とてもコーヒーは飲む気がしない。

水も不安だ。
缶コーラを飲むことにした。電気冷蔵庫が無いので生ぬるい。
缶に付いた土埃をティッシュで何回も拭き取り、ストローをもらって飲む。
そのストローも清潔か不安だが、そこまでは気にしないことにした。

腹がすいたのでパンを買った。
サランラップで包んだパンが有ったので、清潔だと思ったのが失敗だった。
パンを半分に割ったら、薄暗くて良く解らなかったが青いものが入っていた。
小豆が入っていると勝手に思って半分ほど食べて、何だか変だな?と気が付いた。
明るい日の元で見ると、青いカビがパンの内部に団子状に固まって生えていた。
「しまった!」と思った!がもう遅い。
夜中に下痢が始まった。

こうして私の第1回カンボジア調査は始まった。